伝える

 

毎年恒例の墓参りに
行ってまいりました。

今年で26年連続……。

 

私の先祖は、維新の母体である
山口県萩市。

 

「じゃ、武士の家系なんですか?」

 

よく耳にする質問ですけれど、
まったく縁はありません。

父方は、漁民と密貿易の
護衛を兼ねた海賊もどき。

母方は、商人の家系。

父母双方の家系も
武士の血は
一滴も入っていません。

 

ただ、萩の菊ケ浜に立ち、
夏の日本海を
じっと眺めていると、

150年前の景色が
脳裏をよぎります。

 

(ここから、
日本が変わっていったのか、
たいしたもんだな)

 

偉人にくらべるべくもない。

それは分かっています。

 

未だ、悟りきれていませんし、
思う通りの結果を残せていません。

 

墓に手を合わせ、黙とうします。

 

○ありがとうございます。

○安らかにお眠りください。
そして、矛盾しておりますが、

○見ていてください。

 

一生を全うされた先祖の方々に
お願いをするわけではなく、
この世に、私や子供たちを
繋いでいただいた事実に感謝し、
今後の活動を見ていてほしい。

 

ただ、それだけ。

 

しかしながら、どうした訳か、
1年に一度の墓参りを終えると、
晴れやかな気持ちになるのです。

 

墓参りは私一人だけでなく、
家族全員です。

 

乳飲み子の頃から
墓参りをしているからでしょうか、

 

誰しも、萩の町並みに親しみを持ち、
墓前を掃除し手を合わせる姿も
さまになってきました。

 

「伝える」

 

言葉だけでは弱い。

 

何度も何度も習慣のように、
継続してゆくからこそ、心に届く。

 

26年続けた今、
そう思えるようになってきました。

 

いずれ、私もこの世を
卒業するときがやってくる。

 

その時が訪れるまで、

<兼業大家さんの王道>を
私なりの言葉を
「伝え」、
「啓蒙行動」を、
「継続」 して行きたい。

 

改めて、心に誓った墓参りでした。

 

以上、略儀ながら感謝とともに。

 

藤 山 勇 司

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時の流れ

 

1分は60秒、
1時間は60分、
そして1日は24時間です。

「なに? 当たり前のことでしょうよ」

 

そう、物理的な時間の量は、
世界のどこであっても同じです。

 
 

ただ……。

「ただ、どうしたの?」

 

同じ人物であっても、
幼いころの「時の流れ」と、

年老いてからでは、
まったく違います。

 

「ああ、わかるよ。
小学校の頃の夏休みはさ、
気が遠くなるほど長かったな。

ところが、今じゃ、夏どころか、
1年がさ、あっちゅう間だ。

気が付いたら、
棺桶の中だったりして……。
   笑えねぇな」

 

そう、物理的な時間は同じであっても、

「感覚的な時の流れ」は別物です。

 

他にも、
楽しい時間は短いのですが、

怒られている時や、
嫌な仕事をしていると、

5分がこれほど長いものかと
感じるものです。

 

では、物理的な時間でさえ、
工夫次第で伸ばせるとしたら、

どうします?

 

「いやいやいや、それは無理でしょ。
タイムマシーンなら
SF小説であるけどさ、

時間を物理的に伸ばすなんて、
どこからどうみても不可能でしょ」

 

では、どうしてお金持ちと
貧乏人に分かれるのでしょうか。

 

どちらも、1日24時間。

 

同じ時間を過ごしているのに、
時給に大きな差が出るのは
どうしたわけでしょう。

 

「そりゃ、運が良かったか、
才能があったからでしょ。

自分らとは違う。考えても無駄だな」

 

イメージです。
自分らとは違う、土台無理。

そう思うなら、未来は間違いなく、
暗澹(あんたん)とした未来になります。

思考は現実化してゆくものです。

 

過去は、
どんな工夫をしたとしても、
どんなに努力したとしても、

変更することはできません。

 

しかしながら、
これから先の人生は、

変化可能です。

 

どんな未来を生きていたいか、

それは、どんな未来を
イメージしてゆくかに
係っています。

 

「理想の未来ねぇ。

働かないで、遊んで暮らせて、
お金に苦労しないで、
女にモテモテで、
人さまには、尊敬される。

    って、ところかな」

 

なるほど……。

<働かないで>という項目は、
安易に肯定できませんが、

その他の項目においては
左程、難しくはありません。

 

物理的な時間を増やせば、それでいい。

 

お金に苦労することがなくなり、
人さまの為に汗を流せば尊敬され、

尊敬される貴方は、
女性にも好かれることでしょう。

 

「さっきから、
物理的な時間を延ばすって、
言ってるけど、

一体全体、何の話をしているの?

不可能な前提はさ、
  聞いていて不愉快だよ」

 

一代で巨万の富を築きあげた方々は、

全て物理的な時間を増やす術を
利用されています。

 

いったいどうやって?

①アイデアを思いつく

②ビジネスモデルを構築する

③団体を構築する

 

たった、3つのプロセスです。

 

この3つのプロセスで、
宗教団体や学校法人、
そして政治団体や会社組織は誕生し、

そのトップやトップの周辺は

自らの労働時間給を超えた
利益や影響力を
上げているのです。

 

そして、宗教団体の開祖は

その死後も宗教団体に
影響を与え続けています。

 

イエス・キリストは
死後2000年近く経っているのに、
世界標準の時間はキリスト誕生年。

その影響力は、
物理的な「時の流れ」を
超越しています。

 

「確かに、今年は2016年……。

キリスト生誕2016年
ってことだよな。
言われるまで気づかなかった。

って、言うか、そんな偉人のことは
どうでもいいの。

一般庶民の自分らがどう、
物理的に時間を延長できるか
って、ことだろ。

話しをさ、大げさにして
     誤魔化さないでよ」

 

法則は、ことの大小を選びません。

 

大きな変化も、
小さな変化であっても、

同様な効果をあげるからこそ、
法則の法則たる所以です。

 

上場企業や
コングロマリットの学校法人、

そして宗教団体や政治団体であっても、

集団であることに変わりありません。

 

どんな偉人であっても、

知の巨人であっても、

単独では何の影響力も持ちえない。

 

つまり、複数であるからこそ、
影響力がある。

 

具体的に申し上げれば、
こうした団体は

加盟者の「時間」を少しづつ
集めるからこそ、

トップやトップの周辺は、

自らの労働時間を超えた

利益や影響力を上げ得るのです。

 

「人を使うってことね。
はぁ、黙って聞いてりゃ、
無理難題だよ。

起業しても、8割9割が
つぶれてゆくものだよ。

そんな無茶に家族を
巻き込むわけにはいかねぇんだよ。

こちとら家族持ちだからな」

 

そこで、兼業大家さんです。

配下に置くのは、
人ではなく「貸家」です。

 

貸家からの家賃は、
皆さんの時間を物理的に
延長してくれます。

 

考えてもみてください。

 

家賃は収入の25%内外を、
多くの労働者の財布から
持ち出して行きます。

 

つまり、貸家を所有している方々は

店子の皆さんから
25%の労働時間を頂戴しているのと、
同様なのです。

 

無論、家賃に見合う貸家を
維持し続けなければなりませんが、

それは対した問題ではありません。

 
 

ここ最近、空き家の問題が、
ことさら強調されていますが、
 

空き家が継続しているのは、
貸家のレベルを超えていないからこそ、
入居者が申し込まないのです。

 

高い賃貸需要の貸家を、
市場価格よりも安く取得し、

維持管理に手を抜かなければ、
それでいい。

 

売買に冷や汗を流す必要はないので、
本業を続けながら貸家業は両立可能。

 

本業で一般サラリーマンと
同様の収入を得た上で、

兼業大家さんで稼いだ利益は、
次の貸家取得資金にする。

 

つまり、借金の雪だるまではなく、
「資産の雪だるま」
を実現すればいい。

 

本格始動したなら、
7年前後で本業の手取り収入を
超えることでしょう。

 

ご理解いただけたでしょうか?

 

時給収入に家賃収入を
追加することこそ、

皆さんの悩みを解決する、
一番の近道なのです。

 

私は、
いつまでも兼業大家さんに
寄り添って生きていたいと
考えています。

藤 山 勇 司

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反省と後悔

 

人は、
過去を躊躇することなく、
断罪しがちです。

「ったく、もっと勉強してればなぁ……。
 文系に進学したのが間違いだったんだ。
 
 それに、テニス、テニスだよ。
 いいとこだったのに、断念したのは惜しかったな。
 あのままやってれば、錦織こえたんじゃね?

 コーチから「君、才能あるぞ」って言われてたしなぁ
 ああぁ、バカだったな」

 

 果たして、そうでしょうか。

 本当に、過去のご自身は、
 バカで間抜けだったのでしょうか?

 

 私には、そうは思えません。

 むしろ、よくぞ「生き抜いてくれた」
 
 「五体満足なまま、この身を永らえてくれた」と、

 感謝しこそすれ、断罪することなど考えもしません。

 

「でもさ、文系だとさ、
 手に職がないって言うか、
 潰しが効かないし、
 今の会社が倒産なんかしたら、
 どうしようもないでしょ。

 せめて、理系だったらなって、
 思うのはいけないの?」
 
  

 では、高校の数1や数2B、
 そして物理や化学は得意だったでしょうか?

 

「いやいや、生理的に嫌いっていうか、
 数学って、答えが一つでしょ。

 なんか、型に嵌められるようでね、
 あんまり意欲は湧かなかったな」

 

 その状態で、理系に進んだとして、どうなったでしょう。

 人には得手不得手があるのは当たり前のことです。

 全てがオールマイティな人はいない。

 そして、すべてに力を発揮できる能力を
 兼ね備えた人がいたとしても、
 どこかで、専門職を選択しなければなりません。

  

 なぜなら、
 1日は24時間しかなく、
 身体は一つだからです。

 

 極端な話、

 ○上場企業のCEOであり、

 ○ウィンブルドンのシード選手であり、

 ○その上日本国総理大臣であり、

 ○囲碁と将棋とチェスのチャンピオンであり、

 ○ノーベル賞を受賞し、

 ○オスカーの主演男優賞を獲得し、

 ○直木賞から芥川賞など文学賞を総なめし、

 ○紅白歌合戦のおおとりを務める……。

 以上の偉業を同時にできる人など、存在しません。

 そもそも、物理的に不可能です。

 

 確かに、才能溢れる人物は
 上記に上げた輝かしい栄光のどれかを、
 手にすることもできるでしょう。

 

 しかしながら、
 いつの日かいずれかに集中しなければ、なりません。

 

 なぜなら、

 そうした栄光に向けて努力する方々は数多く、
 抜きんでるには、

 卓越した才能もさることながら、
 多くの修練が必要だからです。

 

「なるほどね、言うことは分かるよ。

 でもね、後になって、
 あの時、歯を食いしばってやってれば、
 今、どうなってだろうって、
 考えるのはいけないことかな。

 だって、中学で県大会まで行って、
 高校でもいいとこ行ってたんだ。

 もし、高校2年で辞めずに、
 あのまま続けてれば、プロ?

 って、考えてしまう。だめかな……」

 

 決断したのです。

 高校2年の
 あなたご自身が、悩み、苦しみ、決断したのです。

 その上で、今のあなたがいる。

 そこを否定する行為は、
 あなたの未来をも否定することになりかねない。

 

 なぜなら、現時点で下す決断も

 ”未来のあなたに否定される可能性”

 を内包しているからです。
 

 

「高校2年の悩みか……。

 彼女ができたけど、クラブがきつくて、
 勉強についていけなくて、
 塾に行っても眠気が襲ってきた。

 安易だった。

 もっと、
やれたはずだったのに、やらなかった」

 

 確かに、
 現在のあなたであれば、十二分に対処できる。

 ただ、それは、
 高校2年の経験も踏まえた上でのこと。

 すべての経験を糧にして、
 成長したからこそ、言えるのです。

 高校2年生のあなたも、
 迷い・悩み・もがき・苦しみ抜いて、
 一つの方向性を選択した。

 そうは、思えないでしょうか?

 

 「と、言うことはさ、
  過去は全部肯定しろってこと?

  ダメなことも、
  いやいや、犯罪を犯したとしても、
  それも否定しちゃいけないってこと?」

 

 過去のご自身は、
 今もあなたの心の中で共生しています。

 にも関わらず、
 一切合切反論を許さず、断罪してはならない。

 そう申し上げているのです。

 

 過去の行為を断罪もしくは否定、
 これは「後悔」です。

 辞書には、

 後悔(こうかい)

 「してしまった事について、後から悔やむこと」

と、あります。

 一言で申し上げると、

 「バカだな、やらなきゃよかった」

 上記の文章には、主語がありません。

 むろん、
 やらなきゃよかった主人公は、過去のご自分です。

 反論を許さず、断罪するのは、現在のご自身です。

 

 つまり、

 現在のご自分が原告として
 被告の過去のご自身を

 欠席裁判の法廷で
 侮辱し、否定し、足蹴にするわけです。

 

 この行為の先に、
 過去のご自身との和解はあり得ません。
 
 

 では、どうするか。

 後悔ではなく、「反省」することです。

 

 辞書には、

 反省(はんせい)

 「普通のとらえ方や
  自分の普段の行動・あり方を振り返り、
  それでよいか考えること」

 とあります。

 一言で申し上げると、

「ははは、失敗したな。
 今度は、そこを注意してやろう」

 主語は、もちろん過去の自分です。

 ただ、完全に否定しておらず、

 過去を踏まえて
 次の策を考えようとする前向きな姿勢です。

 

 後悔と反省、
 類似語ではありますが、心の構え方、
 特に過去のご自分と向き合う姿勢は完全に違います。

 

 後悔は、過去のご自身を敵にし、

 反省は、過去のご自身を仲間とする。
 

 

 人は一人では生きていません。

 こう申し上げると、
 両親・友人・彼女や
 彼氏・伴侶・子供、取引先などなど
 様々な方々を思い浮かべます。

 

 しかしながら、
 とても大切な、

 忘れてはならない存在を
 ないがしろにしている。

 

 それは、過去のご自身です。

 

 ずっと、一緒に生きている。

 幼い頃、小学生、中学生、高校生、そして社会人。

 全ての過去のご自身は、
 今の皆さんの心の中に息づいている。
 

 それをどうか、ご理解いただきたい。

 そして、
 過去のご自身と和解してもらいたい。

 確かに、
 今の境遇に心の底から満足している方は、
 ほんの一握りでしょう。

 過去の、
 あの時に、
 違う決断をしていたら、
 もっと頑張っていたら、

 ・
 ・
 そう思う心を止めることは困難です。
 

 

 しかしながら、

 そこで、

「でも、あの時はあの時で、頑張ってたもんな。

 それに、無茶しなかったから、
 今も五体満足でいられるかもしれんし。

 大事なのは、これからだ。

 うん、これからだ!」

 

 そう、思って頂きたい。

 

 過去は、
 否定しても否定しても変えることなど、できません。

 

 ただ、行く末は違う。

 未来は、今のご自身の踏ん張りで
 いかようにも変化できる。

 その為に、
 必要なのは過去のご自身と仲良くすること。

 決して、否定し、貶めてはなりません。
 

 なぜなら、

 過去のご自身の集団母体は、
 表層意識ではなく潜在意識だから。
 
 

 私から見ると、
 表層意識は”理性”であり、潜在意識は”感情”です。

 

 未来への進路を決めるのは
 現在のご自身である表層意識ですが、

 そのエンジンとなる感情は、潜在意識です。

 

 エンジンである感情をつかさどる
 潜在意識を否定するという行為は、
 動力のない船のようなもの。

   ○風が吹けば、進むけれど、

   ○逆風になれば、後退し、

   ○嵐に遭遇すると、
    木の葉のように振り回されるだけ。

 決して、自ら進路を決定する航海にはなりません。

 

 人生と言う、長い永い航海を乗り切るには、
 後悔ではなく、反省こそ必要な心構え。

 

 どうか、過去と敵対するのはなく、
 協調していただければ幸いです。

藤 山 勇 司

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