私の本業は、兼業大家さんを一人でも多く育て上げること

 

先の読めない世の中です。

01CLP22336

いったいこの先、何が待っているのか、
誰も自信を持って答えてくれる方はいらっしゃいません。

一昔前は、息苦しくも単純明快でした。

勉強して、公務員か大企業に入社して、
一軒家を購入して、年金をもらって余生を過ごす。

私の親父、藤山冨蔵は、
専門学校から日亜製鋼という名称の鉄鋼会社に
20歳で入社しました。

同社は合併を繰り返し、
親父は新日鉄の系列会社である
日新製鋼(株)の部長職で退職しました。

その後、
静岡県富士宮市にあるトシダ工業に再就職し、
70歳で退社。

高度成長期に社会がサラリーマンに求めた人生を忠実に過ごし、
仕事を辞めて3年後の2002年11月、
大腸癌で亡くなりました。享年73歳(合掌)です。

一方、3男である私は、
愛媛大学で5年を過ごし大倉商事株式会社に入社。

12年半後の1998年8月21日(金)、
東証一部上場の同社は突如、
東京地方裁判所に自己破産申告を申請しました。

114年の歴史を誇る大倉商事(株)は、
即日上場廃止となり、
1ヶ月後の9月21日(月)には強制解雇となりました。

今から17年前、
当時の私は35歳であり3歳の長女と生まれたばかりの長男、
そして産後の肥立ちの思わしくない妻を抱えていました。

いつ何があるのか、まったくわかりません。

公務員であっても安穏としていられません。
財務省は地方公務員にもメスを入れ始めています。

地方行政の破綻は他人事ではありません。
夕張市役所の容赦ない人員整理は記憶に残っていることでしょう。

家族を抱えていることなど、
考慮されない雇用環境が当たり前となりつつあるのです。

さらに、
日本の雇用環境を根底から激変させるのは、
雇用のグローバル化です。
新興国の天才児は、日本語の壁をものともせず、
専門技術に加え英語に母国語そして日本語を武器にして
日本に職を求め始めています。

それだけではありません。
ネットの進化は国境を越え、
外国にいながら日本国内の仕事を奪い取っています。
自宅で英語を学べる
サービスの講師・コールセンター受付・データー管理技術者などなど、
枚挙にいとまがありません。
私たちは、当たり前に働き当たり前に暮らしたい……。

ただそれだけです。

会社が倒産した後、親父から
「勇司、再就職はいつするんだ?
大家だか、なんだか知らないが家族を養うのは、
そんな甘っちょろいものじゃないぞ」

といわれ続けました。

(世代が違う。
再就職先が潰れない保証などない。
俺は俺で考えている)

そんな気持ちを心の奥底に秘めながら、
「ああ、そうだね。真剣に考えているよ」
と、口にしていたのです。
今に見ていろ……。
そんな気持ちから大家業を拡大し、
「サラリーマンでも大家さんになれる46の秘訣」
を上梓したのは、親父が死んだ翌年の2003年6月でした。
サラリーマンであり続けた親父に一目見せたかった。

満点とは言えないけれど、
親父の生き方とは別の回答もあったのだと知ってもらいたかった。

その余熱こそ、私が「兼業大家さん」に拘り続ける原点です。

当たり前に働いて、豊かに暮らす。

世情の動乱に右往左往することなく、

頑固な仕事人として
正論を堂々と上司や経営者に口にできる財務基盤を築き上げる。
私の本業は、兼業大家さんを一人でも多く育て上げること。

迷っているサラリーマンの背中を押し、
悩んでいる初心者大家さんの質問を解決することです。

あわてず あせらず あきらめず

3つの「あ」を胸に、一歩一歩、共に歩んで行きましょう。

 

藤山勇司

タイトルとURLをコピーしました